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『国家の罠』

国家の罠
佐藤優
新潮文庫

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

 

序章  「我が家」にて
第一章 逮捕前夜
第二章 田中眞紀子鈴木宗男の闘い
第三章 作られた疑惑
第四章 「国策捜査」開始
第五章 「時代のけじめ」としての「国策捜査
第六章 獄中からの保釈,そして裁判闘争へ

本書で注目すべきことは,「国策捜査」という言葉であろう.この聞きなれない言葉が,本作によって世間に認知された.

国策捜査とは,「時代のけじめ」をつけるための捜査である.つまり,時代が変わることによって変化する秩序を,検察が敏感に感じ取り,古い秩序を象徴するような人を捜査し,一旦抹殺する.それによって,秩序の変化を円滑にしたり,後押ししたりするのだ.

筆者と鈴木宗男氏が捜査の対象となった背景には,二つの日本の政治の変化があると筆者は分析している.

その結果,現在の日本では,内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換,外交における地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズムへの転換という二つの線で「時代のけじめ」をつける必要があり,その線が交錯するところに鈴木宗男氏がいるので,どうも国策捜査の対象になったのではないかという構図が見えてきた.(p.373)

では,国策捜査の対象は誰がどのように決定するのか.ターゲットに歴史的必然性があるとなにをもって判断されるのか.本書では,そのメカニズムについては,詳しく触れられていない.捜査を行う側の人にしか,それを知るよしはないが,おそらく検察が自発的に世間の空気を読んで行うのだろう.

検察は基本的に世論の目線で動く.小泉政権誕生後の世論はワイドショーと週刊誌で動くので,このレベルの「正義」を実現することが検察にとっては死活的に重要になる.鈴木氏と外務省の間になにかとてつもない巨悪が存在し,そのつなぎ役になっているのがラスプーチン佐藤優らしいので,これを徹底的にやっつけて世論からの拍手喝采を受けたいというのが標準的検察官僚の発想であろう.(p.294-295)

対象となった人は,ただ運が悪かっただけである.実際に逮捕されれば,理不尽としか思えないだろう.あとがきにも旧約聖書が引用されている.

太陽の下,再びわたしは見た.
足の速い者が競争に,強い者が戦いに必ずしも勝つとはいえない.
知恵があるといってパンにありつくのでも
聡明だからといって富を得るのでも
知識があるといって好意をもたれるのでもない.
時と機会はだれにも臨むが
人間がその時を知らないだけだ.
魚が運悪く網にかかったり
鳥が罠にかかったりするように
人間も突然不運に見舞われ,罠にかかる.
(「コヘレトの言葉」第9章11-12節(共同新約))

この理不尽とも思える不運に,筆者は逮捕当初から達観したように自らの立場を受け入れながらも,強く立ち向かっていった.何が筆者をそうさせるのか.通常であれば国家権力という強大な力の前にどうすることもできず,全てを諦めてしまう.

筆者の取り調べをした西村検察官の言葉では,

「そうだな.まず自分のやっていたことに自信があるんだろう.本質的なところでプライドが高い.それから,外の生活が,実のところ相当キツかった.だから中に入ってほっとしているところがある.しかし,最も重要なのは今までやっていた仕事の性格によるのだと思う.情報や分析という特殊な仕事をしているので,自分のことも突き放して見ることができるんだよ.僕にとっては困ったお客さんだ.何でこんな変な人を僕は調べなくてはならないんだ」(p.300-301)

とある.自分のことが,当事者の視点から描かれているにも関わらず,おそろしく客観的な視点から状況の分析が行われていることが,本書の面白さの一つでもある.

そして,自身の仕事に対する自負は,本書の前半からもうかがい知ることができる.社会的歴史的に非常に重要な仕事をしてきたという自信から,自分の逮捕でさえ歴史的に意義があると考えるのだろう.

自分の行いに自信のない人間が国策捜査の対象になるほど,社会的な影響力をもつことはなかろうが,筆者の仕事への姿勢は常軌を逸しているとすら思える.相当無理をして,やってきたことに,なんの文句があるのか.そう言っているような印象を持った.


 FJK'S BOOK NOTEからの転載