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人の上に立たせたらあかん奴3:  正統性のない人

考察

前々回: 人の上に立たせたらあかん奴1:  偉くなりたいと思う人
前回: 人の上に立たせたらあかん奴2:  成果を上げている人


偉くなりたいとも思っていなくて,成果を上げてもいない人が,人の上に立つべきというならば,例えば私みたいなのが偉くなるべきという結論が導き出される.もちろんそんなわけはない.

では,私に足りないのは何かと考えてみたら,それは正統性だろう.正統性というのは,その人が権力を持つことを周りが認める根拠のことだ.

マックス・ウェーバーらの偉い人たち(これは権力者という意味ではない)が,考えてきたことではある.

正統性のない人が,何いってもだれも従いはしない.一旦権力を持てば,あとは偉いから偉いというトートロジーになるが,最初はなにかしらの正統性が必要だ.

正統性のありようというのは,様々な形がある.地位の種類や団体や時代によって異なるだろう.

業績があるというのも,一つの正統性だ.ただ,私はこの点には疑問があることは前回述べた通りである.

福沢諭吉がいうように,学問も人の上や人の下に人をつくるものだ.MBAはわかりやすい例だ.

様々な形があって,一部には問題がありそうだとなると,権力の正統性をどこに持たせるべきかが課題になってくる.『奴隷が王になる理由』の投稿で書いたが,現状私は,

  • 適当に選ぶ
  • 家系で選ぶ
  • 学歴・資格で選ぶ

がよい選択肢ではないかと考えている.

これらの正統性がどこにあるかと考えると,正統性があるからあるのだというトートロジーにやはり陥ってしまう.権力の正統性はどこかでトートロジーになるので,結局趣味の問題ということになってしまうのだろうか.そうすると,誰の趣味を採用すべきかという話になって,ここで私の考えは止まってしまっている.


追記:

正統性でなくて正当性なのかも.この違いはよくわかないので捨て置いておく.