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どうにかしろでどうにかなるなら,その人要らなくない?

考察

今の上司の批判でもなんでもなくて,話に聞いたことやかつて見たことを考慮して,エライ人一般のものの考え方を推測している.

どうもエライ人というのは,どうにかしろと言えば自動的に問題が解決されていると思っているようだ.具体的なことは言わない.アウトプットを見ることもない."YES"と言わない;まず"NO".

多分,もっとエライ人や他のエライ人との間で交換される情報が,具体性がなかったり,金勘定とか別の観点だったりするから,興味の対象が下々とは異なるからそうなのだろう.

もちろんすべての個別的なことをエライ人が処理していたら回らないのだから,上に上がるにしたがって話がボヤッと抽象化されていくのは仕方のないことかもしれない.

しかし,観察しているとそういうことを言い訳に,泥仕事を面倒臭がっているだけ,あるいは責任を取りたくないだけに思えるのだ.

どうにかしろと言えば,彼らの思考パターンだと指示を出したことになるから,その結果は支持された方の責任になるらしい.具体的なことを言わないのや,とりあえず否定から入るのも,そうすると自分の責任になるからそれが嫌なのだろうと推測する.

エライ人は謝ったり・怒られたりするのが役割みたいだから,責任について敏感なのだと思う.しかし,謝ったり・怒られたりすることだけ考えている人って要る?

具体的なことを方が面白いし,それの決定権が欲しいからエラくなったのではないのか?つまり自由が欲しくて,権力を指向しているのだと,以前は勘違いしていた.しかし,違うみたいで,褒められたい・チヤホヤされたいという自己顕示欲によるものだけみたいだ.

分からないのは,そういう人が仕切っても,グチャグチャしているうちにそれなりに回っていることだ.そういう人は要らないように思えるけど,なにかしらの存在意義がありそうで,それが一体何なのかが疑問でならない.