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ドリル/穴 問題について

所感 a.k.a. poem

マーケティングの格言に

ドリルを買いに来た人が欲しいのはドリルではなく穴である。

というのがある。至言だ。この言葉にはいろいろ思うところがある。

言葉だけ聞くと当然のことである。道具なんて所詮道具だ。用途があって道具がある。用途がない道具はない。その道具があったら何ができるの?この問は道具を作るときにするべき本質的な問いかけだろう。

しかしながら、俺達が作っているのはドリルでなくて穴だなんていう発想をする人は実に少ない。企業には往々にして商品種別ごとの事業部がある。例えば、工具を作っている会社ならドリル事業部なるものがある。ドリル事業部なんてあったらドリルなるものが絶対的に存在していると思って、ドリルを作って売るという発想しかできない。ドリルって何に使うものなのかなど、考えもしない。

自動車メーカーの人に車の機能を聞いたら、「走る・曲がる・止まる」という人がいる。それは違うだろう。車の機能は、人や荷物をある場所から別の場所まで運ぶことだと私は思う。走る喜びとか・所有すると喜びとかもわからんではないので、それを機能に含むこともありうるかもしれない。だが、走る・曲がる・止まるは機能をつくる要素かもしれないが、それ自体は自動車の機能ではないと思う。走って・曲がって・止まるだけならラジコンでいいではないか。

「自分の作っているものがどう使われるかは分からない」という言葉は非常によく聞く。それを聞くたびに、ネガティブな感情が蓄積していく。

それでいて、もっとよく聞く言葉は「競合他社と比べて何が違うの?」である。機能が何かを分からないものの、機能要素について議論して一体なにの意味があろうか。何に使うのか分からないから、カタログスペックばかり気にするのだ。

ユーザーは、カタログスペック見て比較検討するのかもしれない。でも、ユーザーがカタログスペックだけ見ていると思っているなら、ユーザーのことを馬鹿にしすぎやしないか。売る方も馬鹿なら買う方も馬鹿なのか市場というのは?私は違うと信じている。

ヘンリー・フォードは言った:

もし顧客に、彼らの望むものを聞いたていたら、彼らは「もっと速い馬が欲しい」と答えていただろう。

しかし、消費者が買ったのは自動車なのだ。

顧客の望むものを聞いてそれをそのまま作って、イノベーションのジレンマに陥っているのなら、まだましかもしれない。T型フォードがすでに発売していて、顧客はT型フォードが欲しいと言っていても、馬を売っていた連中は多分それに気付かないかそれを認めなかったのだろうと想像する。馬は忠誠心があるから車より優れているとか、意味不明なことを言っていたのではなかろうか(根拠はない)。それは何に使うのと考えたら、ほとんどの用途では自動車の方がいいに決まっている。

私は何に使うのか分からずに、ドリルなんて作りたくない。ものづくりなんて興味がない。ましてドリルそのものになんて、かけらも興味がない。私は社会に穴を提供したいのだ。ドリルの回転数とかアタッチメントの数とかどうでもいい。別にドリルがすぐに壊れるものであっても、顧客が欲しいのがたった一個の穴ならそれでいいではないか。別にそれなら穴ぐらい出向いて開けてやるよ。