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企業と効率とインターネットの可能性

計算機 所感 a.k.a. poem

一般論として世の中の企業というのは非効率で不合理な多くてどうにかならんもんかなと思う。

ムダのために会社が損をしたら、株主なり債権者は金銭的に困る。従業員からしても、自分の金ではないからと、『サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ』とはならない。日本社会は会社が潰れないこと前提にできているから、潰れたらすごく困る。

ムダによる高コストを価格に転嫁するようなことがあれば、顧客にも悪いことをしている。現実には原価が高いから高く売るなんてことはできないので、顧客が本当に求めているときに商品を提供できなくて機会損失を与えたり、カタログスペックには現れないような微妙なところの品質が落ちたりして、買う側も気付かないようなところで損をするようになるのだろう。三菱自動車なども、コスト体質だとかの内情は知らないけれども、当然トヨタ自動車と同じような開発体制や生産体制を整えることはできないにも関わらず、トヨタ自動車と同じような値段で同じようなものを作ろうとしたら、無理がたたることになったのだろう。

また、ムダな仕事を黙々とするような従業員の人生は社会にとって無意味なのではないかとか思ったりするわけです。考えすぎるとすべては無意味でムダだといった虚無主義に陥ってしまうが、少なくとも経済的な意味においては間違いなくムダは社会的な損失だろう。

不合理・非効率――ムダの排除をして不幸になるステークホルダーはいない。

すごい昔は、カイゼンとか効率とか嫌いだった。効率最優先で人間性を阻害した利益至上主義で、それらが環境破壊だとか公害だとかを起こしていて、人を大切にせずに劣悪な環境で働かせて使い捨てにするような、汚い怪物ぐらいに(ちょっと盛っているが)思っていた。

しかし、その後企業ってもっと生産的なところだと思っていたのに――と逆にショックを受けて、考えが反転した。あくまで一般論で、どこでもそうで誰に聞いても誰もが一様にショックを受けている。それで今は非効率を憎んで、世の中のムダは抹殺すべきぐらいに思っている。

ムダをなくすだけでは、高いものが安くなるだけではないか単純には思ってしまう。人が要らなくなって、単に失業者が増えるだけではないかと。街の本屋が消滅してAmazon.comだけになったら、世の中つまらなくなるのではと。

でも、決してそうではないと、最近気づいた。単に不合理・非効率を排するだけでも、今までになかった喜びが現れる。

インターネットでしばしば本を買う。便利というのは麻薬で、インターネット通販サイトにはずいぶん貢いている。通販の便利さは実店舗に出向かなくても手元に本が欲しい時に手に入るだけではなかった。本棚を見ると、Amazonがもしなかったら絶対に読まなかったであろうし、認知すらしていなかった本が数多くある。冷静になって考えると、これはとんでもないことだ。私の人生は明らかにAmazonによって変えられている。

Amazonはインターネットを利用して物流と小売を効率的にしただけだ。インターネットそれ自体は、ただの通信網であって、そのものは何かを生み出したりはしない。それなのに、私は人生を変えられている。当たり前のようにそこにあったから、インターネットのすごさを忘れていた。非常に今さらながら、インターネットの可能性を再発見した。

ジェフ・ベゾスは、私に私が知らなかったような知識を与えて私の人生に影響しようとなんて、別に考えたわけではない。これが良いことだったかは知らないし、私が新しい本に出会ったことは社会に何の影響もないが、思わぬところで思わぬ効果があったわけだ。その事実が、無性に面白い。

アメリカの金持ちが、こんなに離れたところに住んでいる私の人生にかなり強く影響しているという事実に気づいたら、世界の見方が変わる。それを実現するインターネットのすごさよ。

企業はファイヤーウォールの内側にいて非効率なことをしているけれども、ファイヤーウォールをぶち破ってインターネットが企業内に進出し始めたら、革命的なことが起こるのではないかと思い始めた。実際そういう話が、最近私のアンテナによく引っかかる。社会の片隅にいる私の耳にまで聞こえるということは、もう爆発が起こる臨界点近くまで機運が高まっているのだろう。