ソフト開発にも生産技術者が必要

製造業には必ず生産ラインの世話をする役職の人がいる。製造業においては、この役割の人は階級が高くて、会社内ではエリートがする仕事である。昔は社会的にも地位の高い仕事だったのだろう。現在だと聞かないが、かつては製鉄業の現場監督はエリートの仕事であったそうだ。今の日本国の首相である安倍晋三も昔は製鉄所の現場で働いていたらしい。どなたか忘れてしまったが、かつての製鉄業の偉い人は「俺は生まれ変わっても鉄を作る」と言ったそうだ。アツいし、誇りに満ち溢れるよね。

現在でも、製造現場の現場指揮官のような仕事は高給取りで組織内での地位が高いことには変わりないと認識しているが、印象として社会的に高い地位の仕事と認知されていないと私は思っている。決して低いわけではないが、同窓会で工場で現場監督しているといっても、おそらく「ふーん」となるだけで、「すごーい(黄色い声)」とはならないだろう。

私も、学生の時分はそういう仕事はしたいとは思わなかった。キーエンス任天堂・シスコ・アップルのような工場とかいらんでしょみたいな風潮が流行っていたのだ。そういう流れに逆らう形で、「ものづくり」とかいって工場の誇りを取り戻すための言葉が使われていて、この言葉は嫌いだった。工作は好きだったが、生産ラインが嫌いだった。

しかし、現在では、工場の現場の頂点に社長が君臨するような、工場中心の企業の代表格であるトヨタ自動車が、非常に大きな利益を出している。本屋にはトヨタ自動車の秘密みたいな本が平積みにされている。ミーハーなだけかもしれないが、トヨタマン流の行動原理は見習わなければならないと最近強く思っている。

生産ラインは嫌いだったが、ソフトウェアの開発にも結局ラインはあった。産業としてやろうと思ったら、ラインつまりシステムの形に落とし込まなければ、安定した生産というのは無理だと気づいた。製造途中の製品が流れていくのとは違い、意思決定とそのための情報が流れていくことになるので、形態は工場のラインとは異なるものになる。システムといっても、コンピュータシステムのことではない。システムの構成要素にホワイトボードだとか口頭伝達が含まれていてもよい。

ソフトウェアの開発をシステムの形に落とし込んでいって、そのシステムの維持管理をする役回りの人は当然いて然るべきだと思うけれども、あまり聞かない。製造業では、企業によって呼び名が変わると思うが、しばしば生産技術者と呼ばれる人である。

プロジェクト・マネジャーの仕事ではない。人間は適応性が高いから、人間が構成要素として組み込まれてているシステムというのは、整っていていなくても、即興でゴニョゴニョすることで一見回っているかのように見えてしまう。そういうことをすると一時的には問題を隠して乗り越えることができる。プロジェクト・マネジャーという役回りは、ゴニョゴニョと調整をして、問題をやり過ごすことだと思っている。プロジェクト・マネジャーのゴニョゴニョ自体もシステムの中にブラックボックスとして含まれてしまっているのだ。

システムに組み込まれた人間が一時的にシステムを逸脱して即興で解決するということに頼らずに、システム自体を綺麗に整えていくのが、筋だと思うのだ。即興で問題をさばいて解決している人が褒められる傾向にあるが、その人らは問題の存在を隠してしまって、いわゆる根本原因の解決を妨げているのではないかと思ったりする。やり過ごせればもうどうでも良くなってしまうものだし、やり過ごしたこと自体に達成感があっちゃうから困る。

イメージ的には、即興の調整役みたいな人に属人化されていてブラックボックス化されている意思決定のフローを可視化してシステム化したりする仕事、あるいは、そういう調整が必要なくなるように、前工程からやってくるもののバラつきを防ぐようにする仕事がいるのではと思っている。

何と呼ぶべきかわからないが、広い意味でいうところのQAエンジニアになるのだろうか。製造業だと、品質を一定に保つための仕掛けを治具という。ソフトウェアだと、テストフレームワークだとかビルドツールだとかCIツールがそれに相当する。課題管理システムとかもそれに入るかもしれない。現場を観察して、必要に応じて治具を作ったり、その運用をしたりする、そういう役回りの人は必要だと思うのだけれど、認知されていないし、名前もついていない。

名前のついていない職種を募集している企業はないので、探せないが、需要はあるのだろうか。というよりも、私はそういう仕事をする人は必要だと思うので、その考えに同意してコストをかける価値を認める会社があるなら、私がやってあげてもいいよという感じだろうか。もちろん、ラインでもなくて、その上に流れている製品でもなくて、製品が解決する問題の方に本来は興味があるので、そこが同意できることが前提ですが。