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アニメーションと機械学習

所感 a.k.a. poem 映画 計算機

TV 番組で ドワンゴ の人が アニメーション監督の宮崎駿氏に機械学習のデモを見せて「生命への冒涜だ」と怒られたことが話題になりました。

インターネットの記事を見ると、「川上(ドワンゴの代表)め、ざまあみろ」といった意見が目立ちますが、私は宮崎氏の言っていることには同意できないと思いました。とは言っても、TV に放映された映像からは川上氏がどれぐらい機械学習について説明したのかも、宮崎氏がどれぐらい理解してドワンゴがやっていることを否定したのかも、分からないので、どっちが正しいとかはあまり語れないです。ただ、宮崎氏のような強い自負を持った人に対して、何かプレゼンするのは、やっぱり大変だと認識しました。

まあ、宮崎氏のような世界で最も生命の動きというものに対して敏感な人に、あんな失敗作の動画を見せたらアカンだろ――とは思いましたが。

失敗作とは、ドワンゴの人が言っているわけではなくて、私の推測です。人型の物体に、各種の力学的条件を与えて、進行する動きを学習させたら、きっと生命らしい動きを覚えるだろう、たとえば歩行を覚えるだとかを期待して実験をしてみたら、痛覚だとか重要な条件がないために、生命らしからぬ「気持ち悪い」動きを覚えてしまった――といったところだと想像します。必ずしも失敗とは言えないが、まだ研究の途中のものなのでしょう。

しかし、研究がある程度完成して、生命らしい動きを機械が覚えられるようになれば、生命らしい動きを生むための条件が分かります。それは生命を生命たらしめているものは何かを知るということです。ドワンゴの人がそんなことを考えて、機械学習の研究をしているのかは知りませんが、生命とはなんぞやということは、多くの人が考えてきた問題でこれに対してひとつの答えを出すということは、私は意味のあることだと思います。

動き、つまり力学の観点から、生命について論じた例というのはありません。単に無知なだけかも知らないが、力学から生命を論じた例を私は知りません。化学反応の連鎖として生命を見る分子生物学は成果を上げています。また、生態系、つまりマクロ的に生命を見ることもされています。心理学だとか動物行動学だとかで行動から見ることもされている。しかし、生命の動きというのはよく分かっていません。生きているものとそうでないもので動き方が異なるということもよく分かっていません。私は生物と非生物では明らかに違うと思っているが、証拠はない。ボストンダイナミクス社のロボットは生き物の動きをしていないし、トトロは生き物の動きをしている。この差異がどこから来るのかは分からないのです。

アニメーターが偉大だと思うのは、生き物らしい動きというのを想像して描くことができることです。祟り神だとか猫バスはいない。にも関わらす、存在しないものの動きを実在感を持って描くというのは、天才にしかできないことです。

ドワンゴ機械学習の技術が完成したら、天才にしかできない芸当が機械でもできるようになるかもしれません。存在しない生物であっても、力学的条件を与えれば、自ら「リアル」な動きを覚えて、動き始める。そういうことができるようになれば、アニメの表現というのが変わるかもしれない。ドワンゴの人はこういうことがしたいのかな?

機械学習はまだアニメーションには全く使えないが、古典的な力学の演算は既に広く使われています。CG アニメの怪獣の毛の動きだとか、飛び散る水しぶきの動きだとかは、もう人間が描くよりも計算機に計算させた方が「リアル」な動きをします。

しかし、私が面白いと思うのは、力学的な「リアル」な動きとアニメ的な「リアル」な動きは違うことです。仮にトトロが実在したとして、あんな動きができるかというと力学的に無理です。だが、力学的に正しい動きをしているトトロなんてまったく実在感のないものになるに違いありません。力学的にはリアルでないからこそ、アニメ的にはリアルなのです。「板野サーカス」と呼ばれるミサイル群がうねうね動く表現方法についても、あんな動きをするミサイルなんて現実には作ろうとしても作れないが、アニメ内ではあの動きの方がリアリティがあります。*1人間フィルターを通したときに、正しく思える動きというのは、現実とはずれているのでしょう。

人工知能がそこまで考慮できるようになったら、人工知能と人間は本当に区別できなくなるかもしれない。まあ無理かな?

*1:余談だが、板野サーカスは高速に動く物体に対して、カメラが寄ったり離れたりするのですが、カメラの方が高速に動く物体よりもずっと速く動くことに気づいてから、気持ち悪く思えてきました。