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プログラムのレイヤーは降りれても登れない

プログラムにはレイヤーというものがあります。レベルとも呼びます。プログラムというのは人間の理解を超えて複雑なものなので、全容を知るということは人間には出来ません。理解できない複雑なものを理解するために、人間には便利な思考法が備わっています:抽象化という思考法です。抽象思考がどういうものなのかは、説明が長くなるので、ここでは省きますが、プログラムの世界もレイヤー化という一種の抽象思考によって驚くほど複雑なものが作られてきました。一般に、カーネルなど生の機械を触るプログラムを低レイヤー(低レベル)と言い、アプリケーションの画面など人間に近いプログラムを高レイヤー(高レベル)と言います。

ソフトウェアエンジニアとざっくり呼ばれますが、レイヤーごとに仕事をしている人が異なります。高レイヤーのエンジニアはアプリケーションエンジニアと募集されていることが多いですし、比較的低レイヤーのプログラミングは最近ではシステムプログラミングと呼ばれます*1。同じプログラミングではあるけれども、求められている知識やスキルが微妙に異なるので、レイヤー毎にエンジニアの棲み分けが行われています。

低レイヤーのエンジニアは、高レイヤーのエンジニアより自分は偉いと思っていることがしばしばあります。私が知っているカーネルの開発をしている人は、職業欄に “Kernel Developer” とわざわざ書いています。俺は特別だと思っているのでしょう。鼻には付きますが、自分の仕事に誇りを持つことは悪いことではないです。

しかしながら、そのよく分からない高慢がエンジニアのキャリアや企業の収益の可能性を制限してしまっているのではないかと思います。

低レイヤープログラマは「低レイヤーができたら高レイヤーもできるが、逆はできない」と言うのですが、これは嘘です。使う人の気持ちになれないからです。作ったけど何に使うかは分からないと、恥ずかしげもなく言う程度の低い人がいる。そういう人々は、自分の仕事は難しいのだと偉そうにしているけれども、低レイヤーのプログラミングすら実はまともにできないのだ。

さらに、現在では、低レイヤーのソフトウェアを作ることが大して金にならなくなっている。Linux のように OSS として公開されているものが、選ばれるようになっているからだ。それに、例えば Google みたいな低レイヤーの製品で利益を得ていない企業が、自分らが使うために作ったが、隠し持っていても競争力に繋がらないし、広く使われるほうが有利だと OSS を公開している。

使い道を分かっている人が作って無償で公開しているものがあるのに、どうして使い道も考えずになんとなく作っている製品を買う人がいるのだろうか。無償で配布されているものにすら及ばないものしか作れないなら、その仕事に1円の価値もないのではないかと思う。

そんな事業辞めて、もっと高いレイヤーに移れば良いのにと思うが、それができない。売るレベルのものが作れないとしても、一回覚えたことにこだわってしまうものだ。それに程度の低いプログラマが高レイヤーのプログラムを書くとそれはそれはひどいものができる。なんとなく動くし、性能はいいのかもしれないが、抽象度が整っていない難読でメンテ不可能な代物になる。また、使い道が分かっていないというのは変わらないので、作ったものに商品性はない。レイヤーを移るのは無理なので、仕事を維持するための仕事をして1円の価値もないものを作り続けるしかないのだろう。

お前らはそれしかできないかもしれないが、俺は他のことができるのに、どうしてお前らの仕事を守るためだけのことをしなければならないのか――と思っている人は、さっさと金になるレイヤーに移った方がいいと思う。使い道が分かるようになったら、再びレイヤーを降りてプロダクトマネージャー的なことをやったら良い。その方がキャリアもそうだし、社会のためにもなると思う。

*1:システムプログラミングをする人のことは何と呼ぶのだろう?インフラエンジニア?