社会は素人ばっかりだ

社会に関する驚くべき事実の一つが、ほとんど全ての人が労働をして給与所得を得ていることです。大体の人は働かないと文化的な生活が維持できないので、何かしらの職業についています。当たり前のことではあるが、よくよく考えてみるとすごいことです。こんな社会が成立しているのは有史以来現代だけだし、未来には成立していないのではないでしょうか。

会社に入ったら次のようなことを言われると思います。

学生の時分は、親がコストを払い、君たちは教育というサービスを受けていた。しかし、社会人になったら、君たちは給与をもらい、対価として価値を提供しなければならない。

これは新入社員をビビらせるための方便で、プロ意識を持って仕事をしましょうというぐらいの意味です。間違ってはないし、私も新入社員研修をしたらきっと同じことを言うでしょう。

しかし、この言葉には嘘が含まれています。会社員はプロ意識を持って給料に見合った価値を提供してほしいというのは使用者の理想であって、実際にはサラリーに見合うだけの働きをしているサラリーマンなんていないということです。サラリーとはそれだけ払わないとそいつが生活できないという額を払っているだけで、そいつの働きに対するフィーではありません。働きに対して対価を貰っていたら誰も生活なんてできやしない。あなたが平均して1日1万円得ているとして、あなたが今日1日かけて資料を作ったなら、その資料に1万円の価値がありますか。本屋にあなたの資料が置いてあって、1万で買う人がいますか。いるわけがありません。

働きに商品価値がついて、それだけ稼げる人はサラリーマンなんてしなくてもよいです。少ないながらそのようなプロフェッショナルはいます: 士業、コンサルタント、作家、etc. そうでない人は諦めてサラリーマンをやっているしかありません。

逆に言うと、会社というシステムはすごくないでしょうか。プロ意識をもって仕事をしましょうと言ったところで、社会は素人ばっかりです。ほとんど全ての人が働いているのだから、達人ばっかりだったらおかしいですよね。ほとんどの人は高等教育を受けずに働きはじめ、そして、会社員は働き始めてからも、驚くほど勉強をしない。個々の仕事は素人のそれであっても、会社全体としては維持でき、従業員は生活できているのだからすごくないですか。サラリーマン地味た態度は好きではないですが、『サラリーマンは気楽な稼業と来たものだ』とはよく言ったものです。

ただ、このようなシステムがずっと存続できるとは思えません。たまたま一時期に成立していただけだと思います。企業が従業員の生活を維持する義務なんてありますか。企業がそれに気づけば、まともに給料なんて払わなくなる。実際そのようなことが起こっているように見えます。サラリーマンにはやさしくない時代が来るのでしょう。その先にあるのは、ベーシックインカムなのでしょうか。