奴隷が王になる理由

昔から疑問なこと

奴隷から王になった男がいたとしよう。王は、俺は奴隷のときに努力して優秀だったから、認められて王にまでなることができた、お前ら奴隷も俺をみならって必死に働け、と言う。

しかし、奴隷で優秀だったなら、お前は一生奴隷をしてるべきではないか?

優秀な人が出世する問題

奴隷と王は、現場作業者と管理職に言い換えてもよい。

成績の最も良い営業が管理職になってしまったら、組織としては損失だと思うのだ。営業で良い成果を出しているからといって、その人に管理職がうまくできるとは限らない。わざわざいい結果になっているものを壊す必要があるのだろうか?

そもそも成果がでているのは、当人の能力より環境が良かったからだと思うのだ。人間の能力なんて、そんなに変わらないのではないかと思っている。環境がたまたま良かったから、いい結果が出ているだけだ。わざわざよい結果が出る環境を壊す理由がわからない。

もちろん、当人が環境に適応しようとした努力はあるだろうし、熱意もあったのだろう。だからといって、その人の人格が優れているとは限らないし、仮にそうだったとしても、人格が優れている人が出世するべきなのか。

えらい⇒優れている

という命題は成り立たないと思う。逆の命題もそうだ。

しかし、こういう幻想が蔓延しているし、そう思い込んでいる人が偉くなりたいと思うのだろう。

人間の能力差なんてそんなにない。少なくとも立場による権限や収入の差ほどはないと思う。えらい人がその地位に見合うだけの能力をもっているとは思わない。そして、その能力が下にいるときの成果をもとに判断されるものならば、能力が高い人を出世させる弊害の方が大きい。

王は誰がなるべきか

能力の上下がそんなにないとしても、立場の上下が必要なのも事実だ。仕切る人がいないと社会は回らない。優れているわけでもない人間を上にするには、どんな正当性をもってするべきなのだろうか。

適当に決めたらいいのではないのかというのが私の意見だ。たまたまそういう場所に居合わせ人、そういう星の元に生まれた人を出世させたらいいと思う。

例えば、ダライ・ラマ方式である。

あるいは家柄で決めたらいい。王の子息が次の王になるのは自然なことだ。トヨタの社長を豊田家の人間がなることを不公平という馬鹿はいないだろう。

あるいは学歴・資格で決めたらいい。人間を差別できるものはそれぐらいしかないと思う。MBAが経営の役に立つなんてことがないことぐらいMBAをとる人は知っているだろう。しかし、それぐらいしか経営者に正当性を与えるものがないから、MBAなんてものがあるのだ。私はそれでいいと思う。学歴や資格で積極的に差別していくべきだ。

平等とか無理だから、なにかしらの方法で上下は作らなければならない。ただ、上下は別に優劣ではないと思うのだ。