お寺というか宗教の機能は、コミュニティをまとめることだと思う。
ちょっと前までは、地域コミュニティというのがあって、そこの中心にお寺があった。
しかし、もうお寺にその機能はなくなってしまって、お世話になるのは葬式のときぐらいだ。
地域コミュニティがなくなって、核家族化して、つながりがなくなってしまった。
企業がコミュニティ的役割を持っていた時期も一瞬あったらしいが、それももはやない。
個人がどこのコミュニティにも属していない。そういう状態に社会がなっている。
この状態は不安定だ。コミュニティ的役割をするものが、今こそ社会に必要だと思う。
それはやっぱり宗教的なものなのではないかと思う。あなたの宗教はなんですかという質問は、あなたはなんのコミュニティに属していますかという問と同じだ。
教義なんかは重要でない。みんな忙しいから、そんなことに興味はない。
多分、形体も必ずしも宗教の形でなくていい。互助組合的な、あるいは運命共同体的なコミュニティであればいい。キリスト教や浄土真宗もそういう形で広がっていったのではなかろうか。
それが今は失われてしまって、特に都市部では全くない。しかし、やっぱり必要だと思う。お寺の復権は難しいから、これから別の形で生まれてくるのではないだろうか。
インターネットから生まれるかとも思ったが、つながりが緩すぎて、互助組合的なコミュニティにはなりえない。せいぜい、同好会止まりだ。SNSも、現実のコミュニティを反映しているに過ぎない。
科学の時代、個の時代、インターネットの時代に反しない形で、コミュニティを創出するためにはどうすればよいのだろうか。