無駄に段落が多い本が嫌い

近年に出版された本は、段落の数が多い。一つの段落の文字数が少なく、頻繁に改行が入っている。1文ごとに改行しているような場合も多い。幻冬舎新書星海社新書といった新書はその傾向が強いように思う。

以下の1つ目の写真は中公新書『理科系の作文技術』の見開きであり、2つ目の写真は星海社新書『日本語の活かし方』の見開きである。前者は段落がカチッと定まっており、文字が四角く並んでいる。一方、後者は1文ごとに改行しており、ページの下に空白が目立つ。小説のような見栄えだ。文字が大きいこともあって、1ページあたりの密度が薄いように感じる。

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この段落の数が無駄に多い本が好きではない。

ページを水増しされているように思うからだ。1ページあたりの密度が薄いということは、1ページあたりの文字が少ない。一般にページ数の多い本の方が価格が高い。空白にも我々はお金を払っている。改行が頻繁でページに空白の多い本はコストパフォーマンスが悪いのである。

もちろん文字数が多くても、文章が冗長であれば、情報の価値は高くはならない。たとえ文字数が少なくとも、要点がまとまっていて、情報の価値の密度が高ければコストパフォーマンスが必ずしも悪いとは言えない。しかし、改行が多い文章は情報の価値の密度が高いのだろうか。

段落数が多い本が好きではない別の理由は、読みにくいことだ。

段落数が多いと書いたが、実は段落がない文章ではないか。段落が付いている文章のトピックセンテンスだけを抜き出したような文章であれば、段落一つの文字数が少なくても、情報の価値が大きく損なわれることはない。しかし、そういうわけでもなさそうで、単に段落を区切らずに一文ずつ改行しているだけのように思える。『日本語の活かし方』は内容は非常に興味深いが、文章技術の本にも関わらず段落という作法を無視しているところが大きな欠点だ。

段落がない文章は、どこが要点なのかわかりづらい。段落があるというのは構造化されているということだ。構造化された文章は重要な文句の場所が決まっている。節のはじめに結論が書いてあり、節の終わりに結論をまとめ直した言葉が書いてある。どこにアンダーラインを引くべきかは文章構造からも明確になっている。しかし、段落のない文章はどこが重要なのかわかりづらい。そのため、強調したい箇所を太字にしたり、枠で囲ったりしているような本もよく見かける。だが、強調したいということは文字の修飾ではなく、レトリックで示すべきではなかろうか。

私は嫌いだが、改行が多くて薄い文章が好まれるから、増えているのだろう。これは、Eメールやブログの影響が大きいのではないかと思う。Eメールは、文章の途中であっても改行を入れることを推奨されるという謎の作法がある(私には読みやすいようには思えないですが)。*1ブログ記事もスカスカな記事が多い。The Zen of Pythonにも

Sparse is better than dense.

という文句があるぐらいだから、薄い文章に見やすさを感じる理由は理解できる。コードを書く際は、私もこのZenに従って薄く書いている。

しかし、誤った文章の作法は良くない。仕事で1文ずつ改行している文章書かれたら、私はキレる。編集者が添削した商品としての本ですら、正しい作法に従っていない現状を鑑みると、会社員に厳格な文章を求めるべきではないかもしれない。最近の若者は――というおっさんになってしまうのだろうか。私は文章は得意ではないが、全く書けないわけではなく、うまく書けるようになりたいと思っているので、文章作成が特殊技能になってくれれば、希少性が出て得なのかもしれない。ただ、それは文化の衰退ではないかと思うのだ。

日本語の活かし方 (星海社新書)

日本語の活かし方 (星海社新書)

理科系の作文技術 (中公新書 (624))

理科系の作文技術 (中公新書 (624))

*1:大学の教諭はメールに無意味な改行を入れない方が多かったことを思い出した。彼らは文章作法には厳格だったのだ。