オープンソースの弱点(1)日本語

今やオープンソース・ソフトウェア(OSS)を無視して計算機は語れない。OSSを制するものが業界を制する状態だ。

ソフトウェアを作って売るという商売をしているとどうしてもOSSと比べて競争しようとしてしまう。縄張りに侵入してきている外敵に見えるのだ。私は、OSSは自分のものでもあるのだから、これと完全に競合するところで競争するなんて馬鹿げていると思っている。

しかし、あえてOSSと戦おうとなった場合に、OSSプロプライエタリ・ソフトウェアと比べて劣っているところはなんなのだろう。OSSプロプライエタリ・ソフトウェアが棲み分けできるようなところはどこなのだろう。

  • 日本語
  • 運用
  • サポート
  • GUI

今思いつくのはこれらだ。もちろん例外もあるだろう。私が主観的に見て、一般的な傾向としてこれらが弱いと考えているだけだ。

それぞれについて何回かに分けて述べたいと思う。今回は日本語について。

日本語

OSSは日本語が弱い。

OSSの開発はほとんど英語で行われている。OSSを開発している人にとっては必要を感じないから、自ずと日本語は弱くなる。

また、もともと計算機はascii文字しか扱えないのをあとからマルチバイト文字を扱えるようにしたので、日本語はあとからとってつけるもので優先順位が低い。なくても動くのだ。

例えば、UIが多言語されているOSSは多くない。UIを多言語化するは面倒くさい。作っている人はUIが日本語であったところで嬉しいことがひとつもないので頑張る理由がない。日本人が作ったとしてもUIを日本語にしたりしない。堪能でなくても、UIを触るぐらいだったら英語でできるわけで日本語にする意味がない。

基本的に面倒くさい系はOSSは不利だ。面白いと思う人が多いところには人が集まるが、ただ面倒くさいだけだと思われがちなところには人が集まらない。もちろん面倒くさいものが価値がないとは思っておらず、そういうことをやってくれた人は評価するべきだ。ただ、面倒くさい作業は豊富な予算を持って人を雇ってやらないと実現できないのも事実だ。金がもらえる仕事なら面倒なことも人はやる。

日本人しか使わないようなソフトウェアはOSSはますます不利だ。OSSの質は開発者・使用者の数で決まる。英語圏の人が使わないようなソフトウェアは人が集まらないので、なかなかよくならない。

例えば、Linuxをデスクトップ環境で使おうとしたときIMEが弱いことに気づくだろう。変換のエンジンは、Mozcが優秀だが、Mozcを扱うために必要なiBusは使いにくい。悪かったら誰かが直してくれるが、人が少ないと直されるのを待たなければならない。*1

あるいは、vimなんかは日本語で使うことが想定されていない。頑張って設定すればvimで日本語文章の編集もできるらしいが、最初から想定されているならばわざわざ設定しなくてもよいはずだ。

日本市場は大きいので、商売でやるなら日本語を扱えた方が有利だ。日本のユーザーも英語はできるが、客商売は客に合わせるのが基本だ。日本語ができて売れるなら、企業は面倒くさくても日本語を頑張る。

例えば、Windowsで日本語を扱うのは快適だ。IMEも変な動きをしない。Wordの日本語のスペルチェック機能などは非常によく出来ていると思う。ヘルプも日本語版がちゃんと用意されている。

この充実具合はOSSでは実現できない。

日本語の作文技術 (朝日文庫)

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*1:もちろん自分でやればいいが、タダ乗りしたいこともある。お互いにタダ乗りしあって、みんなが楽しようというのがOSSだ。