オープンソースの弱点(2)GUI

OSSが弱そうなところについて書いています。

のうち今回はGUIについて。

GUI

一般にOSSGUIはあまり使いやすくないと思う。GNOMEも何が悪いのかは分からないが、なんか使いにくい。UbuntuのUnityもなんか使いにくい。

コミュニティベースのOSS、バザールモデルの開発ではよいUIは生まれにくいと考える。

なぜならば、UIってトップダウンで決めていかないと統一感があるものにならない。統一感がないUIほど使いにくいものはない。全部決められる人が決めて、それで駄目ならこんなもんアカン作りなおせやと言える人がひっくり返すということがないと良いUIにはならない。

オープンソースの逆襲』にこうあります。

社内か町内の掲示板に、漢字の間違いが含まれた「連絡事項」のポスターが張り出されたとしましょう。 その連絡事項に興味を持つ人が多ければ多いほど、多くの目玉が、そのポスターを見ます。(中略) そして、その多くの目玉のうちの何パーセントかが、漢字の間違いにも気づくはずです。(中略) 漢字の間違いだけではなく、文章をよくするための修正案や、そのポスターにぴったりのイラストなども、書き手が頼んでもいないのに、続々と届くかもしれません。(中略) そして、ふと気づいたときには、漢字や文章の間違いがなくなっているのはもちろん、一流のデザイナー顔負けの立派なポスターが出来上がっているに違いありません。

間違いは確かになくなるかもしれませんが、目が集まっても見栄えは良くならないと思います。パッチをつぎはぎしても、美しいデザインにはならない。撤回されたオリンピックのエンブレムも分かっていない人が適当なことをいってグチャグチャにされた感じがします。それでも、発表されたあとに「一般国民」が私も書いてみたとワラワラと出てきなものよりも出来が良かったように思う。この場合は個別にワラワラとやったわけだが、同じものを直し合うようなことをしたら、統一感も何もないものになっただろう。エンブレムは意匠の話だが、使い勝手も同様だと考える。

OSSでよいUIになるとしたら、能力の高い人が1人で作ったか、Macなどの他の商用ソフトウェアの優れたUIを真似た場合が多いのではなかろうか。

もちろん、ウォータフォール開発で作ったGUIよりはパッチワークの方がマシだ。わかっている人が設計をする、動くものを作る、ちゃんとした人が評価する、直すを繰り返さないとまともなものにはならないと思うのだ。プロトタイプなしでUIなんてできるわけがない。

オープンソースの逆襲

オープンソースの逆襲