愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

経験とはそう大切なものなのだろうか。

何かをするにあたって、経験が全くないよりは豊富に経験があった方が上手くできるでしょうし、年の功が役に立つことはあります。役に立つとは問題を解決するのに有効かどうかということです。問題を解くことに効果があるならば、その経験は敬うべきものでしょう。

一方で、いくら経験があるとのたまわれても、問題の解決の助けにならなければ、その経験は尊重できません。「昔の誰々が同じようだった」などと経験があることを自慢されたところで、役に立ちません。ただ昔話をしたいのか、自分の優位性を示したいかでしょうから、雑談であればなんぼでもヨイショします。しかし、こちらが問題を抱えていて困っているときに、自慢話を聞かされることはいささか迷惑でもあります。

我々は問題の解決がしたいだけです。その仕事をやっている年月の長さが必ずしも解につながるわけではなく、また解の出処が経験から得た見識でなければならないという決まりごともないのです。実際にはものを知らないのにも関わらず、自分は経験豊かで解法は全て知っていると思うことは困った考えです。自分の経験にしか拠り所がないというのであれば、頭の中の引き出しの数が少なすぎるように思います。

人の歴史は長く、人の数も多い。それに比べて人ひとりの経験など、ちっぽけなものです。おおかたの問題は別の誰かが遭遇していて、既に解決されていて、記録にのこっています。どうしてそれを知らないでいられましょうか。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

ビスマルクの言葉で、「歴史に学ぶ」はもともと「他人の経験」だったのが、かっこよくするために「歴史」に変わったそうです。高校の時分、テキストにこの言葉が出てきたときに、先生が「自分の経験からも学ばない人もいますけどね」とボソッと言っていたのが心に残っておりまして、その先生の言葉も含めて、座右の銘となっております。自分の経験からも他人の経験からも学んでいくのが賢者への道なのでしょう。

経験からの学びを Kolb という人がモデルにしていまして、「経験学習モデル」という名で知られています。「経験→省察→概念化→実践」という4段階を繰り返して人は経験から学習していくというものです。

https://www.simplypsychology.org/learning-kolb.jpg

歴史を知っていれば、Kolb の経験学習モデルのうちの概念化が簡単になるか省けます。無から概念を組み上げなくても、先人が既に概念化しているので、それを当てはめればよいのです。他人の経験則を最初に知ったときは、すぐにはぴんとこないかもしれませんが、後から似たようなことを経験したら、あれはそういうことだったのかと思うことがありますよね。あるいは「これ進研ゼミで出たところだ」と即座に解が見えることもあるでしょう。

先人の経験の上に自分の経験を乗せて概念を強化していけば、学びはブーストします。巨人の肩の上に乗ればより遠くが見えるようになるものです。歴史に知恵を借りれば、無教養な人の20年・30年の経験なんて取るに足らないものであって、人類の歴史を背負って未来を切り開いていくのが現代に生きる我々の務めだと信じます。