接点 t を見つける

現実はおそらく一つなのだろうけれども、どの断面で切り取るかによって見え方は全く異なるものになります。人の知性では世界をそのまま認識することはできず、何かしらのフィルターを通して世界を見て解釈します。フィルターとはフレームワークパラダイムやモデルと言い換えてもよいでしょう。生きていますと世界をもっと合理的に解釈できるような新しいフィルターを見つけたり、これまでのフィルターでは解釈しきれないような新しい事象に出会ってフィルターが外れたりします。このときが生活していて最もよろこびを得るときだと、私は思っています。

「接点 t 」とは、高校数学で2次関数・3次関数の数曲線の接線を求める問題の有名な解法のことで*1、この解法を初めて学んだときに狐につままれたような気持ちでした。接点 t はこちらが勝手に置いたもので、それを通る接線なんて存在するかどうかも分からない virtual なものです。しかし、方程式に解が存在したとき、接線が実在するものとして現れる。ないのにあるとはどういうことだ?解があることが存在するということなのだという新しい視点に、世界がひっくり返えるような驚きを感じました。

学びのよろこびとは、できなかったことができるようになるとか、生活の役に立つとか、実学としてのよろこびもあるものの、世界の見え方が変わる以上のよろこびには未だ出会ったことがありません。狭い視野から見た既存の世界を維持するために働いている人々は、一体何が楽しくて生きているのだろうと不思議に思ったものです。学びを否定し、変化を嫌がる――そういう人が社会のほとんどを占めていると知ったことも、強烈なパラダイムシフトでした。

数の世界よりも、今では人間の世界の方が面白いです。数学はきれいになるように作っているからきれいなのですが、社会は複雑で汚いです。一見複雑な社会や人が、理にかなって見えるフィルターを発見するのが、楽しい。社会や人に関しては「物語」と呼ぶのが適当でしょうか。社会や人が合理的でなければならない必然性はどこにもなく、社会や人を統べている一般法則なんてきっとないのでしょう。それでも、人間の悲喜こもごもを見て、そこに物語を見出すのは無上のよろこびなのです。

社会にはいろんな人がいます。均質でない人々が集まると、衝突があったり、化学反応といわれるような思いもよらない結果になったりします。事件が起きる現場では人は思いもよらない動きをします。人は間違うし、裏切ります。そういう現場に居合わせたいものです。

また、物語を見たいがために、デスゲーム的なもの・スタンフォード監獄実験・ミルグラム実験みたいなものを主催することを夢想します。もちろん犯罪でも悪事でもないことが前提です。私はきっと社会実験がしたいのでしょう。バンク*2という会社の実験的な試みを見て、羨ましく思います。あのサービスを始めてから彼らの世界観はきっと大きく変わったでしょう。

新しいパラダイムを見つけるというのは偉業です。他者の世界観を変えるようなパラダイムを見つけたいものです。世の中の人は世界が変わって見えることを求めていないのかもしれませんが、社会というのは変わり続けているので、それを合理的に解釈できる新しい枠組みが必要です。商売も新しい枠組みに嵌ったビジネスが成功しているのだと思います。ただの趣味であることに加えて、実利的な目的のためにも、俺の「接点 t 」を見つけたい。