決める能力

会社でも役所でも国家でも人が集まるところには、人が集まること特有の事象というのが多くあります。その中でも特に「決める」ということは、一人で何かする場合にはありえない面倒な作業です。決裁とか承認とか呼ばれるものです。

決裁とか承認は、職務権限で誰が決裁するか決まっている場合もあれば、管轄としてどこが決定するか決まっている場合もあるかと思いますが、いずれにせよ、だいたいの仕事は決めるのは自分ではなくて、他の誰かに決めて貰わないといけません。自身の行動ですら、決めることを許されないのが組織にいてつらいところですね。

決裁権を持つ人、つまり、決める人が組織や仕事に与える影響は大きくて、何かするときには、この決める人が仕事のボトルネックになってしまうことが多いです。決まらなければ進まないし、誤ったことが決まってしまえば失敗します。決めるところにいる人の能力はよく見えますし、決める人の能力は影響が大きいです。だから、意思決定をする人には能力が高い人を置くことが一般的です。マネージャは平社員たちよりだいたい優秀ですし、経営者はマネージャたちよりだいたい優秀です。一方で、能力以上の権限をもってしまった人は、能力が足りていないことが分かるので、しんどそうにしていますね。例えば、何も決まらない会議を主催する人たちとか。

観察するに、決めるというのは単なる技能で、テクニカルなものに思えます。決めれなくてしんどそうな人は救えるし、ボトルネックの問題も解決できそうに見えるんですよね。

では、ここでいう「決める能力」というのは何なのかという話でして、ちょっと分解して考えてみようと思います。

意思の決定というぐらいだから、心の中で行われることです。心の中の動きを分解するのは難しいのですが、エイヤで「気持ち」と「思考」の2つに分けます。命名がよくないですが、2つは別のものを示しています。

気持ちの問題

大きいのは気持ちの問題です。決定には「責任」が伴うので、気持ち的に責任が持てない人は決められないですね。役職的に権限と責任があっても、気持ち的に責任を負えない人は決める能力がないと言えるでしょう。

ではどうやったら気持ちがつくかというと、慣れ、あるいは訓練によって気持ちはつちかわれます。リーダーシップと言ったらいいのか、俺の責任でやるんだ、みたいな気持ちは性格の問題ではなくて、経験から得るものなのだと思います。

例えば総理大臣は賛否両論ある中で重大な決断をしているかと思います。彼の判断が正しいのか間違っているのかはここでは議論しませんが、常人があの立場にたっても何かを決断することすら不可能でしょう。少なくとも私には無理で、何も決められないかと思います。なぜ常人にはできないような重大な決断が彼にできるかと言えば、高いレベルのことを決める能力を教育だったり経験によって会得しているからでしょう。

帝王学とでも呼べばいいでしょうか。一朝一夕で身につくものではないし、訓練と言っても外から与えられるものではなくて、内から芽生えたものを繰り返すことで習得するのだと思います。経営者や政治家のレベルは常人にはおそらくたどり着けません。

しかし、全員が、経営者や政治家になるわけではないので、帝王学のレベルは無用です。自分の役職の権限のことは自分の責任で決める程度ことは、身につけようと思えば誰でも身につく、ただの技能です。

当然ながら権限以上の責任はないのだから、責任の範囲なんて怖れるに足りない、大したことのないことです。十分にコントロールできることだということに、やってみて慣れていけばいい話な気がします。車の運転みたいなものです。やっているうちにいつの間にか責任が苦痛ではなくなってきて、自然と決定ができるようになります。

思考の問題

決めようという気持ちがないと決めれないので、気持ちは大事なのですが、いざ決めるときには、気持ちや余計な感情を排して、冷静に判断をしなければなりません。確からしい判断をするためは思考の能力が必要です。決めれらたところで、その判断が常に誤っているのでは、困ります。なるべく正しかろうことを決定しなければなりません。

決める能力がない人には2つの種類がいまして、正しかろう答えは知っているが気持ち的に責任が怖いから決めたくないという人と、正しかろう答えが分からなくて決められない人がいます。前者の人は、前述の気持ちの問題でして、事故が怖いから車を運転したくないみたいなものなので、何度か乗ってみて事故なんてめったに起こらないことを知れば、運転できるようになります。

しかし、後者は、道に出れば事故を起こす状態です。何が正しいか分からないから、判断も確実に誤っている。事故を起こすから運転したくないように、何が正しいのか分からないから、決定をしたくない。これは気持ちの問題ではありません。決めさせてはならないでしょう。

ほとんどの問題は妥当な答えはあります。判断を誤らずに妥当なものを選択できるのは、思い切りの良さとかリーダーシップではなくて、思考能力の問題です。まれにトロッコ問題のような『答えは沈黙』的な場面で決断を下すこともないわけではないですが、そんなのはほとんどありません。

論理的推論によって得られた答えを、感情を排して選ぶことができる能力は、一種の論理的思考でしょうか。これも訓練でどうとでもなるし、リーダーシップなんかよりはずっと簡単に習得できるものだと思われます。

何だったら、答えを出すのは自分でなくてもいい。専門家に意見を求めてその中で妥当そうなものを、決める人は判断をすればいいだけです。ただし、専門職で自らの領域にたいして、答えは出せないなんていうの許されません。それは決めれないとかいう話ではなくて、単なる専門職としての業務遂行能力の問題かと思います。まあ社会は素人ばかりなので大した罪ではありません。


まとめますと、決定する人は上の2つができなくてはなりません。

  1. 何が正しいのかを判断する。
  2. 正しいと判断したことを、自らの責任で決める。

何も難しくないですね。決める立場の人がこれをできるようになって、何も決まらない会議とかがなくなればいいと願います。