『洗脳原論』
苫米地英人
春秋社
序 洗脳というニルヴァーナ
第1章 洗脳とは
第2章 脱洗脳のプロセス
第3章 ディベートと脱洗脳の関係
第4章 脱洗脳のケーススタディ
第5章 アメリカ“洗脳”事情
第6章 私の脱洗脳論
脳機能科学者で脱洗脳の専門家(未だにこの人が何者なのかよくわからない)苫米地英人氏がオウム信者を脱洗脳した際に得られた知識について記した本である。
本書に述べられている洗脳状態や変性意識状態というのが、いまいち分からない。こればっかりは体験しないと分からないかもしれない。文章でいくら読んでも、理解できるものではない。しかし、非常に興味深い。
洗脳とは、
洗脳という仮想現実の世界。主観的には、うっとりとする夢想空間を魂が漂流しているような状態である。同時に、客観的には、緻密に計算された虚構の世界に閉じこめられた状態である。(p.3)
というものであるとのこと。しかし、こういう状態にある人間にはそれが現実なわけだろう?意識というものは不思議なものだ。この不思議な洗脳には、4つのステップがあるらしい。
洗脳のステップ1は、迷信や因習などで定義される可能性世界の命題を利用して、この可能性世界の命題が、ホメオスタシスのフィードバック関係の介在によって、物理的な現実世界に存在している心と体に影響を与えるメカニズムを構築することからはじまる。
わかりやすくいえば、旅行先の旅館で窓を開けたとき、真下に墓が見えたら、背筋に寒気をおぼえたりすることだ。(p.21)
洗脳のステップ2に進むと、可能性世界の臨場感が、現実世界の臨場感より強くなる。(中略)たとえば、旅館の自分のいる部屋の様子が目に入らなくなり、墓場の臨場感が部屋中を満たす状態である。(p.23)
ステップ3では、(中略)さらにイカリであるアンカーが埋め込まれる。アンカーの埋め込みは、(中略)トリガーすなわち引き金によって、あらかじめ埋め込んでおいた臨場感体験を即座に再現するために行われる。(p.25)
(ステップ4では)醒めない変性意識サイクルのはてしない循環に意識がはまっていて、抜けだそうとしても、ホメオスタシスに連結した鎖によって引き戻され、さらにその鎖に以前よりも強くがんじがらめにされる。(p.28)
洗脳とは、見えている世界の様子を変えてしまって、しかもそこから抜け出ることができないような仕掛けを施すことのようだ。恐ろしいとしか言いようがない。
アンカーというのも体験したことがないのでよくわからないが、これはパブロフの犬のような条件付けみたいなもののことなのだろうか?
本書では、脱洗脳のプロセスも明らかにしている。要約すると、アンカーを見つけて外して、正しかろう世界の認識を与えることらしい。脱洗脳とは、逆洗脳のことなので、洗脳のプロセスを詳しく説明していることに他ならない。この本だけ読んでも全く真似はできなさそうではあるが……。
しかし、ディベートによって思考パターンを破壊するというのは、簡単そうだ。普通に生きている人の思考基板基盤なんて、全く論理的でない。おそらくカルトの教義の方が論理体系としては良く出来ている。それを崩すには、著者のような達人にしか難しいだろう。しかし、世俗の人の論理なんてないにも等しい。なぜなぜ攻撃を3回ぐらいやればすぐに破綻する。質問する側に立たれたら、もうほとんど負けは確定している。
あとは、新しい論理を与えて、やり方は分からないけれど、アンカーを仕込めばいいのだろう。質問する側あるいは権威側に立たれた時点で、洗脳からは逃れられないのではないだろうか?