『イミテーション・ゲーム』
映画『イミテーション・ゲーム』を見ました。生涯ベスト級です。
これは俺の映画だ。
これは栄光なき天才の物語であり、栄光なき凡才(つまり凡人)がどうして共感して涙をボロボロこぼしているのだろうか?そうなれなかったという事実に耐えらないのかもしれない。つまり
そうなりたかった俺の映画だ。
ということなのかもしれない。もちろん私は栄光ある天才になりたかった。
とはいっても、アラン・チューリングは"超々"天才です。これは無理です。彼が、当時最強の暗号機エニグマを打ち破るために作ったものは、今日コンピュータと呼ばれているものの原型である。
ちなみに、映画では描かれていないが、彼の天才性は計算機を作るにとどまらず、計算機の限界、ひいては知性の限界を示したことにある。計算機の歴史は彼から始まったとも言えるのに、彼の業績が情報産業で知られていないのはおかしな話だ。論理的にバグが防げると本気で信じている人は、勉強不足も甚だしい。
チューニングの生涯は史実自体が既に劇的である。私はサイモン・シンの『暗号解読』で知った。
しかし、チューニング伝以上に、本作は映画だから当然史実にない・あるいは盛った脚色があるわけだが、それが全て私の心を撃った。具体的には、
- チームミッションとしての衝突・協力、そして達成
- ジョーン・クラーク(キーラ・ナイトレイ)
- 超重要軍事機密に関わるということ
- 天才あるいは同性愛者ゆえの孤独
である。どれも私にはなかった。あるとすれば単なる孤独だけだ。
チームが全く成果を挙げれずイライラしている様子も、チューニングにイライラしている様子もすごくよくわかる。ジョン・クラークの助けから、協力し始めて、ついにはチューニングを庇い始めたのは、展開としてはありがちなのだけれど、それまでのイライラ感に共感している手前感動的だった。
そういう状態での、
ドイツは愛で負けた
という印象的なセリフからの暗号解読に成功した歓喜の瞬間は、映画史上に残る成功体験シーンだと思う。
ただ、戦時中で期限が迫っているのにパブでビールを飲んでいるのは、日本では絶対ないと思う。なんで日本はこんな奴らに負けたんだろうな。一つ持論があるとすれば天才を認めない文化だと思う。
話的にも『ビューティフルマインド』の
体液の交換
からの酒場の下りとよく似ているが、圧倒的に本作のほうが良い。暗号の方がわかりやすいしね。ラッセル・クロウより圧倒的にベネディクト・カンバーバッチだわ。
機械に「クリストファー」と中学生ぐらいの自分時分の思い人の名前をつけていて、
私を一人にしないでくれ
と執着しているところなんて、涙腺が耐えられるわけ無い。中学生のチューニングがクリストファーがなくなったことを知らされて、ショックを受けているのを隠そうとして、全然隠しきれていない表情は良かった。あの子、名前はわからないが今後どんどん出てくると思う。
毒りんごをかじって死んで終わるのではなく、チューニングの英雄性に光を当てる語りで終わるのが良かった。ああ、私も英雄になりたい。