『日本語の活かし方』
- 作者: 福嶋隆史
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/06/26
- メディア: 新書
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論理とはなんぞやとずっと考えています。最近気づいたのは、
- 論理学的な意味での正しさを求める論理
- 何かを主張するための納得度を高める言語表現という意味での論理
の2つは別物だということです。
前者の意味での論理というのは、前提だとか公理とかがあって、推論規則等に従って物事が進んで行くもののことです。論理学的な意味で正しいものというのは、ほとんど見かけない。あるとすれば、プログラムや数学体系やよく出来た映画の脚本ぐらいではないでしょうか。映画の脚本が論理的というのは、物語が進むには何かしらのイベントが必要で、映画の中での出来事というのは、その前のシーンにきっかけがなければならないからです。よく出来た映画は、無駄な場面が一つもなく、すべてのシーンがつながっています。*1
しかし、世の中のほとんどはそこまで厳密ではありません。論理学的な正しさではザルなものでも、論理的だと言われ、人々はそれを聞いて納得しています。正しさではなく納得度を高める論理が言語表現としての論理です。これが後者の論理です。
人は主張された時に何かと比較されないと納得しないものです。比較することは、論理学的な正しさとは別の話です。数の大小や集合の包含関係のような命題に含まれるもの以外は、論理体系に比較なんて登場しない。似たような命題を持ってきて、似ているから正しいなんてのは、証明ではありません。けれども、そのような主張はありふれています。むしろ、そういう方便が求められます。比較しないと納得してくれないものなのです。
自分のアイデアの価値や正しさが主張したいだけなのに、なんで他のものと比較しないといけないのだ。俺のアイデアだけ喋らせてくれ。そして、アイデア自体を評価しろよ。
そんな風に思っていた時期が俺にもありました。現在は、何と比較するかでなんとでも主張できるから、何と比較するかが肝要だと思っております。何と比較すると、納得度が上がるのかに苦心しています。
そんなことを考えていたときに本書を手にとって、眼からウロコといいますか、我が意を得たりといいますか。本書は、納得度を高める言語表現としての論理の本です。
言語技術は、大きく三つに整理することができます。(中略)
- いいかえる力
- くらべる力
- たどる力
(p.40)
いいかえる力とは、抽象度の操作です。これは考えていました。
たどる力とは、因果関係の整理力です。これも考えていました。
論理学的な論理はこれに近いです。しかし、厳密さは求められないようです。
一〇中八人が「なるほど」とおもえるかどうか。すなわち、客観性が高いかどうか。
これが、一つの基準になります。
(p.56)
客観性を高めるように見せる技術が、くらべる力です。抽象度の操作能力、因果関係の整理力だけでは駄目で、比較して示す能力が大事なのだなとちょうど思っていたときに、本書を読みまして、繰り返しにはなりますが、「これだ」と深く思いました。
比較する能力というのは分ける能力でもあります。
普通、他人が書いた文章というものは、分かりにくいものです。
なぜでしょうか。(中略)
「分けにくい」からです。
(p.154)
MECEに分けなきゃ分からないだろっていうのが、分かってもらえなくて、ショックだった思い出があります。意外と分けることの重要性は理解されていないのです。
自分も含めて、本書に書いている内容はよく理解し、実践すべきことです。*2本書は、間違いなく座右の書となる重要な一冊だと思いました。