権威と OSS
権威とはなんなのだろう?――というのは長いこと悩んでいる疑問である。私が権威が大好きな権威主義者ということなのだろうな。
また、OSS というのも社会学的に興味深い営みであり、これを観察することも趣味である。
さて、どうも最近 OSS が権威主義的になっている気がする。
OSS は一種の規格であるので、OSS に関して発言力を持つことはソフトウェアベンダーにとっては重要である。OSS の開発に関して発言力を持つことができれば、自社の製品と OSS との親和性を高めることができるので、自社の製品が売れる。そのため、有名どころの OSS では、いろんな企業が主導権をとろうと活発に開発に参加している。
既に存在している OSS の開発に参加するというだけが、OSS で主導権を取る手段もない。既存のものは先行者利益が大きい。先にいた人が強い発言力を持っているので、後から入ってきた人が発言力を持つというのは結構大変だ。OSS で最も偉い人は始めた人で、次に偉い人は最も手を動かした人である。これは OSS に限らずどこの業界であってもそうであろう。しからば、自分が完全にコントロールできるような OSS が欲しいのであれば、自分で OSS プロジェクトを初めてしまうというのは簡単な手段である。
ただ、企業が始めた OSS の開発に参加する人がいるかというと、いないだろう。どうして一企業の利益に、関係ない人が貢献するのだろうか。標準規格にすることを狙って、企業が始めた OSS プロジェクトで、参加者が集まって上手くいっている例は知らない。ただソースコードが公開されているだけで、実際には一企業の人が内々で作っているような OSS だけれどもオープンではない OSS は多い。
標準化したいならば、中立性が必要だ。中立であれば、一企業だけに利する恐れが少ないので、参加者が集まる可能性が高まる。もちろん、ソフトウェアとしての価値が高いことが前提である。
思うに中立性とは権威と同じである。中立とは他より偉いという特権だ。そのため OSS プロジェクトを権威の元におこうというのは自然な考えだ。OSS 界隈で権威ある団体といえば、Apache Software Foundation と Linux Foundation が挙げられよう。一企業主導であれば標準化が難しいからと、Apache Software Foundation にプロジェクトが寄贈されたりだとか、Linux Foundation 配下で開発が行われたりだとかがされる。
ASF や Linux Foundation の元で OSS の開発が行われたら、それが中立化というと実際のところそんなことはないと思うが、一企業に利するようなことは建前上できない。
おそらく、今後 ASF や Linux Foundation の元で OSS を作ろうという風潮がますます活発になって、これらの財団のブランド力が強くなっていくだろう。権威というのは偉いから偉いのであって、一旦権威がついたものはもっと偉くなる方に向かうものだ。OSS で標準化を狙うなら、ASF や Linux Foundation の中で発言力を持てるように頑張るのがオススメだ。*1
しかし、そういう風潮が強まると、OSS が政治的が強いパワーゲームになることもおそれている。みんなで協力して自由なソフトウェアを作ろうみたいな、牧歌的なものではなくなってしまうかもしれない。