新しい切り口で世界を見たい
面白いことないかなといつも思っている。だが、面白いってなんなのだろう?
私にとっての面白さというのは、世界の見方について新しい切り口を見つけることだ。
株や為替の動きはただの数字の上下だが、系に対する入力と出力で見たら経済学だし、確率から見たら金融工学になるし、小さい要素に分割してそれらの相互作用という見方をしていけば経済物理学になる。
映画とか小説、特にSFが私は好きだが、これも世界の別の見方が知れるから面白い。『マッドマックス』はわかりやすい例かもしれない。あれは荒廃した世界を舞台にしているが、描いているのはこの世界なのです。見る前と後では世界は同じはずなのに変わって見える。
リーマンショックだーアベノミクスだー上がったー下がったーと見たままのものを愛でることの何が面白いのか私には分からない。現象をよく見ろとかいう人がいるが、グワーとか擬音語でそれを表現してそれでおしまいというのに一体何の価値があるのだろうか。
そういうものの見方も確かにある。でも他に、サイコロを振ったからとか、サブプライムローンがどうと因果関係を語るとか、妖怪のせいとしてしまうとか見方はいくらでもある。妖怪のせいという切り口が新しければそれが面白いのです。その妖怪を見つけて、名前をつけることができればそれに価値があると思っている。
ここ数年ビッグデータという言葉を良く聞く。私がこの現象について面白いと思うのは、オカルト的な理屈づけを排して事実だけ見ようという態度に対してである。何するにしてもとにかく理由が要求される。売れるであろう理由とかいくら並べても意味がない。理由はしらんけど事実そうなっているのだから認めろという態度が興味深いと思うのです。これまでは平均をとったら現れなくて、理由が分からないから誤差だとして無視されていたような稀な事象も、事実として観測されているのだから認める。少数のサンプルを取って調べても見つからないような、稀な現象も含めて全部まとめて調べて、稀な現象に価値を見出す。ここに私は面白さを認めるのです。
言葉として流行っているわりに普及しないのは、平均とか取って丸めて理由を付けてくないと納得しない旧来の態度から離れられないからだと思っている。ものの見方というのは変えれられるものではない。
しかしながら、私は昔ながらの枠組みでああだこうだと議論することがつまらないと感じてしまうのです。予定調和といっていいのか議論しなくてもすでにゴールが決まっているように見えて仕方がない。
オブジェクト指向プログラミング・関数型プログラミングといったプログラミングパラダイムも世の中をどう切り取って、抽象化するか、モデル化するかというところに人々は面白さを感じているのではないだろうか。
そういうの全くなくて、作った・動いたとか、数字出た・だから何とか、そういうゲームはつまらない。*1
こう解釈すれば今までよりも世界をシンプルに理解できるじゃんというのをしたいのです。
*1:やるけど