前々回: 人の上に立たせたらあかん奴1: 偉くなりたいと思う人
前回: 人の上に立たせたらあかん奴2: 成果を上げている人
偉くなりたいとも思っていなくて,成果を上げてもいない人が,人の上に立つべきというならば,例えば私みたいなのが偉くなるべきという結論が導き出される.もちろんそんなわけはない.
では,私に足りないのは何かと考えてみたら,それは正統性だろう.正統性というのは,その人が権力を持つことを周りが認める根拠のことだ.
マックス・ウェーバーらの偉い人たち(これは権力者という意味ではない)が,考えてきたことではある.
正統性のない人が,何いってもだれも従いはしない.一旦権力を持てば,あとは偉いから偉いというトートロジーになるが,最初はなにかしらの正統性が必要だ.
正統性のありようというのは,様々な形がある.地位の種類や団体や時代によって異なるだろう.
業績があるというのも,一つの正統性だ.ただ,私はこの点には疑問があることは前回述べた通りである.
福沢諭吉がいうように,学問も人の上や人の下に人をつくるものだ.MBAはわかりやすい例だ.
様々な形があって,一部には問題がありそうだとなると,権力の正統性をどこに持たせるべきかが課題になってくる.『奴隷が王になる理由』の投稿で書いたが,現状私は,
- 適当に選ぶ
- 家系で選ぶ
- 学歴・資格で選ぶ
がよい選択肢ではないかと考えている.
これらの正統性がどこにあるかと考えると,正統性があるからあるのだというトートロジーにやはり陥ってしまう.権力の正統性はどこかでトートロジーになるので,結局趣味の問題ということになってしまうのだろうか.そうすると,誰の趣味を採用すべきかという話になって,ここで私の考えは止まってしまっている.
追記:
正統性でなくて正当性なのかも.この違いはよくわかないので捨て置いておく.