間違いを減らす方法を考えていて、ある程度以上はどうしようもないという役に立たない結論を得たのだったのだが、過激だったのか、意図せずアクセスが増えてしまった。単に苦労していますだけの内容を多く読まれても困るなと、一回取り下げて書き足しました。
間違いの減らし方を こちら に書きました。
仕事をしていると、必ず間違いを提出してくる人に出会ったことはないでしょうか?私は何度も悲しい思いをしており、そういう人にはもう仕事は頼めないと、非情ですが早々に判断するようにしています。
少なくともソフトウェア開発の世界では、正確さに大きな価値が置かれています。この業界だけでなく、一般的に、間違いは欠陥か事故であり、基本的に許されないものです。仕事は、紙の試験ではないため、百点満点が当たり前です。タクシーに乗ったら、事故せずに必ずつくことを期待する。手術で手が滑ることや、車を運転して信号を見間違えることは許されません。
個人の責任を問わないとしても、手術を任せると必ず手が滑るとわかっている不器用な人には、管理者の責任として手術をさせてはならない。ほとんどの仕事に免許は不要ですが、免許がないに等しい状態だったら、仕事は頼めない。
もちろんフィードバックはして、こちらも頑張る。わかりにくい例えなんですが、線形なフィードバックシステムを考えてみてください。人なんで当然間違いはあるんですが、通常の場合は自分で気づくなり、外からのフィードバックを受けて修正されます。しかし、フィードバックシステムには安定する条件というのがあって、系の特性値があるしきい値を超えると、フィードバックで軌道修正しきれず不安定になって、制御不能になります。
自動車免許の教習所に通っていて、路上で練習しているときに、危険な運転したら教習官がブレーキを踏んでくれたり、ハンドルの補助をしてくれたりします。運転が危険すぎて、教習官でも補助しきれず、このままでは危険だと判断したら、教習は取りやめると思うんですよ。同様に、レビューや作業指示の与え方で誤りが拾いきれない、このままだと許容不可能なリスクがあると判断したら、その人に仕事を頼むのは諦めざるを得ない。
フィードバックシステムを安定化させる方法はある。理論的にはフィードバックを強めたり、フィードバックの遅れを少なくすれば系の安定につながる。要するに、マイクロマネジメントをすればある程度制御はできる。しかし、マイクロマネジメントはやる側の方がしんどいし、限界がある。
ハンロンの剃刀の原則『無能で十分に説明できることに悪意を見出してはならない』を適用して、単に業務能力が欠けていると話を終わらせるのが簡単ですが、ときに悪意を持って手を抜いて仕事をしていると感じざるを得ないイライラがあり、精神的な負担が大きい。そして、悪意を持ってわざとではないにしても、間違いを生む原因や、なぜ精神的に負担が大きいのか気になったので、それを考えてみました。
間違いを生む原因の一つはマインドセットの問題です。仕事への取り組み方が適切でないことがよくあります。間違っているマインドセットを持っていることは、悪意があると言ってしまったほうがいいのでしょうか?
彼らは責任の範囲と考えている部分が期待より狭い。誤りはいけないものだと思っていない。レビューに持ってくるときに、「正しいかどうか調べてください、間違いを見つけてください」と考えている。
これが本当に困ることです。こちらも答えを持っているわけではない。答えが手元にあったら、わざわざ頼まない。間違い探しをしてくれといったスタンスの成果物のレビューするなら、最初から代わりにやってあげるのと変わりません。正しいか確認してくれじゃなくて、正しいものを持ってこいといつも思います。あるあるなんですが、彼らはレビューで指摘されたら、そこだけ直して他の同様の間違いを探したりしません。
再び教習所の例だと、教官が助けてくれることを前提に、無謀で雑な運転をする生徒はいると思います。
マインドの問題は、相手が叱責してあげるべき立場ならしんどくても頑張るが、そうでないなら誤った考えを持っていることの責任を取ってもらうしかない。
もう一つの理由として、知能の問題も考えられます。ここでは単純に知的な仕事をする能力の大小を議論しているだけなので、人間性や人格の程度の意図はないです。IQテストなどの結果をみたわけでないですが、常に誤る人は、パターン認識能力が怪しいと感じることがあります。つまり、見て分かるべきものが、分からない場合がある。極端な例ですが、A であるべきところが B と誤っていて、どこを見て B にしたのか聞いて出てきたものには A と書いてあるようなケースがよくあります。信号の色が見分けられない人が免許を取れないように、答えを得ていても、誤ったものと正しいものの区別がつかない人に、間違いのないことなど期待できません。
どうにもならないので、もどかしい気持ちになります。知識としては理解していても、人の知的能力に差があるのは認めにくいものです。話している人に対して、同程度の知能を期待してしまうのが普通です。バカだとか知能水準が低いなんて言ったら、ハラスメントでしかない。相手には知性を期待するように私たちは教育されてきた。どうしても、ちゃんと見てないだろうと判断してしまう。
教習所の教官なら、安全が関わることだし、慣れているので、無理そうなら無理そうだと、すぐに判断できる。しかし、致命的な欠陥があっても怪我する人はいないし、こちらも頑張ってみて、そして負担を感じる。何度も繰り返していると、早めに判断して決断できるようになってきてしまいました。悲しい話です。