マネージャをマネジメントする。
マネージャと呼ばれる職種の人はどこの組織にもいます。いわゆる中間管理職の人々です。個人の人格は別にして、彼らには組織上の機能の要請から、共通の行動原理があります。マネージャは例外なくこの行動原理にしたがって動きます。特に優秀なマネージャであるほど原理に忠実に動くものです。そのため、マネージャというロールの人々は行動の予測がしやすい; 別の言い方をすると御しやすい人々だと言えるでしょう。マネージャをマネジメントするのは、サラリーマンスキル(コンピテンシというやつ)の一つで、彼らをコントロールできた方が楽に仕事ができるようになります。
今回は、私が長年の観察により発見しましたマネージャの行動原理を挙げまして、マネージャを御する方法を考えてみたいと思います。
マネージャは自分の立場を守る。
全ての管理職は自分の立場を守ること、つまり保身を最も優先します。自らの責任範囲で悪いことが起こらないことに最も注意を払って、仕事をやり過ごすことに注力します。それがミッションなのだから当然です。一般社員と比すればマネージャは責任感が高いでしょう。また、マネージャはもっと上の人に一般社員より遥かに厳しく詰められます。責任は責任範囲の中にしか生まれませんので、責任範囲を守ることに執着するのは自然なことでしょう。
一方で、責任範囲の外にはあまり興味がないものです。例えば、事業の利益や会社の利益、あるいは人類の利益になんかは、一般社員と同程度によそごとだったりします。前の会社でマネージャが「こんな泥船の部署……」と言ってたのには、それはお前の責任やろと思ったりしましたが、マネージャというのはそういうものです。
基本的にマネージャは自分の立場を守ることしか考えない――これが第一原理です。マネージャは組織上の部署の機能に忠実です。内心は別のことを思っていても、立場的に立場を守るようにしか動けないものです。不自由と言っていいかもしれませんが、大人には不自由が好きな人が結構います。制約条件の中でうまく立ち振る舞うことによろこびを感じる人、要するに出世志向の強い人です。また、しばしばいる考えの読みづらい冷徹なマネージャも、おおむね頭の中にあるのは自分の立場のことだけです。覗いたことはないものの、その仮説でもって説明できなかった場面には未だ出会っていません。
マネージャが部下のことを慮るときも、それは立場上やっているだけと考える方がよいです。部下の利益も彼らにはよそごとです。彼らはわれわれの人生になんて興味はない。彼らは親ではありません。部下が自分の立場を守るのに有用か、あるいは有用にするのにはどうすればよいのかにしか興味がないと考えた方が、彼らとは付き合いやすいでしょう。
一般社員として仕事をするときも、マネージャの立場を守るのに有益になるように仕事をするのが、彼らには喜ばれます。天下国家のためなることであっても、彼らはそれを仕事とは認めません。「2つ上の役職の立場に立って考える」というのが、サラリーマンとしての上手な立ち振る舞い方だと言われていまして、マネージャにとって有用に働くのが平社員にとっては楽な生き方です。
マネージャは受動的である。
組織にはトップダウンとボトムアップというのがあって、大体のマネージャはボトムアップを好みます。上がってくるレポートを聞くだけ、これをやっていいですかという相談に承認するだけ、稟議書に判子を押すだけ、といったやってきた情報に相槌を打つ仕事をボトムアップと呼んでいます。ボトムアップで来るものに対して頷いて、たまに思いつきで適当にコメントを返すというのが楽ですよね?君臨すれども統治せずといった感じでしょうか。元よりマネージャのロールとして、承認フローやレポートラインの中継以外の役割を求められていないという場合もあろうかと思います。それは彼らが好んでそうしたのとそれでうまく回った結果そうなったのでしょう。
いくら赤べこの張り子人形のように頷いているだけを好んでいても、うなずくだけでは済まない問題がボトムから上がってくることもあるかと思います。しかし、それはそんな厄介事を上申する奴が悪いのです。「なんでなんだ」と詰問すれば、問題を引き受けずに投げ返すことができます。再び前の会社の話で、ゼネラルマネージャ級の人が「重大な障害が起きてしまいました。起こした人は反省してください。」と言ってました。確かに彼らの立場からしたら、問題は自分のあずかり知らぬところで「起きる」もの・下々が「起こす」ものでしょう。でも、そんなスタンスで僕らに話されても、何も変わらないのだろうと思ったものです。
偉い人は、座って待っていたら、下僕たちが問題の解決策を持ってきてくれて、実行してくれることを期待しています。いわゆるマイクロマネジメントは疲れますので、やりたくないのです。意思決定もしたくないし、頭を使うこともしたくない、指示も出したくない。報・連・相でいうところの相談は嫌がる。言ってしまえば、彼らはマネジメントなんて仕事はしたくないのです――これが第二原理です。一般社員のわれわれは、これを理解する必要があります。
そして、マネジメントをしたくないマネージャのために、われわれは「忖度」をしなければなりません。言わずとも知らないところで勝手に問題が解決しているというのが偉い人にとっては理想的な状態です。上官が何も言わないのに下官と意思疎通がとれるのは、忖度という高度なコミュニケーションを下官がとっているからです。大学にいた頃に、助教の人が「先生はこうおっしゃるだろう」とか「先生がおっしゃったことの真意はきっとこうだろう」と、教授の思いを憶測して動いていました。当時は忖度という言葉を知らなかったから、シャーマンになって教授の霊を憑依させているんだと揶揄しておりました。人間には、他の人の思いを脳内でシミュレーションできるという能力があります。面白いことに現実の上司と脳内の上司のいうことに大きな齟齬はありません。私たちは、現実の上司の意向に加えて、脳内の上司の意向に従って、働くべきなのです。脳内上司に忠実な人が有能なスタッフとされます。
マネージャは不確実なものを嫌う。
報・連・相のうちの相談は嫌がったとしても、権限と責任の範囲内での意思決定をすることはマネージャの仕事です。われわれとしてもスタンプラリーをクリアするために、判子を押してもらう必要があるので、彼らに意思決定をしてもらう必要があります。
判を押す人から見ますと、確実に正しい答えであることに対しては判を押しやすいものです。サイコロを振って1以上の目が出ることを保証してくださいと言われて、それを認めるという判断をするのは容易です。一方で、確実でないことを判断するのは難しいことです。サイコロを振って1の目がでることを保証しろと言われても、それを認めることはできません。6の目が出たらどうするのでしょうか。テメーそんなものに判を押しやがってと責められますよね。明らかに誤った判断をしないというのが、責任というものです。現実は、理想的なサイコロの目と違って、確率など計算できない種類の不確実さを持っています。これに対して判断を下すことは難しいことです。
そのため、マネージャは不確実な状況下で意思決定をするのを嫌がります――これが第3原理です。こういうときには、意思決定をしないという判断がしばしば行われます。つまり現状維持、問題の先送り、負債の繰り延べです。ポイントは、これらが結果として誤った判断だとしても、意思決定をしていないので、責を負うことはないということでしょう。そもそもマネージャには明らかに誤った判断をしてはならないという職責はあっても、結果に対する責任ないですから。
正しいことの蓋然性が高い解、つまり明らかに正しい答えを認めないというのは、明らかに間違った判断ですから、マネージャは立場上これを拒絶するわけにはいきません。われわれとしては、明らかに正しい答えを用意しておいて、マネージャがただうなずくだけで良いようにお膳立てするべきです。彼らが一緒に悩んでくれて彼らから答えが見つかるなんてのは期待せずに、彼らが頭を使わないようにするのが正しいです。
現実はきれいではないので、不確実なものです。現実をそのまま反映したら、きれいでない判断材料になります。そういうのは持って行ってはいけません。いい感じに抽象化して、筋が通っている情報であるようにきれいにしなければなりません。具体的な「正しい」情報が欲しい人は、元より一次情報にあたりますので、それをしない人はそもそも正しい情報なんて求めていません。彼らの要望に合わせて、クリーニングされた情報を渡してあげるのが、親切です。
悪意をもって長々と書いてしまいました。個人の人格は別として、マネージャという役は好きではない。理想的なマネージャは機械化が可能だとすら思っているし、彼らを機械化するように動くのが理想的なサラリーマンなのではないかと思っています。理想的なサラリーマンは、結局コンサルタントや官僚のようになってしまうのでしょう。
また、仮に間違ってマネージャにさせられてしまったら、私もマネージャの行動原理にしたがってロボットのように動くのだと思います。飼い犬とはつらいものです。