難しいことは仕事ではない

仕事が難しくなければならないなんて一体誰が決めたのでしょう。このことを誤解している人が多いように思いますし、そのために私もずいぶん長らく勘違いをしていました。しかしながら、考えを改めまして最近では、難しいことは仕事ではないと思っております。

難しいことに価値があると考えることが、そもそも間違いなのだと思います。仕事の難しさ仕事の価値は必ずしも相関しません。簡単だけれども有意義な仕事は少なくないですし、難しそうであっても無意味な仕事はもっと多いです。

しかし、難しいから偉いとなぜか人は思ってしまいます。この考えは危険です。なぜならば、難しいことに価値を見出してしまうと、どうでもいい仕事でさえいたずらに難しくしてしまうからです。チャレンジングなどの言葉も下手に使うと罠に陥りやすい危険な単語でしょう。

生産性という単語を最近よく耳にしますが、仕事に難しさだとかチャレンジングさを求めると、著しく生産性が下がるように思います。生産性とは安定して生産することです。困難なことに挑むならば安定した結果は期待してはいけないでしょう。加えて簡単なことも難しく難しくしようものなら、生産性なんて諦めるべきです。意味なしに難しい仕事なんて非生産的な仕事なのだから、そこに生産性を求める方が間違っています。簡単な仕事を安定してこなしているのが最も生産性が高い状態でしょう。

難しいことはやらないというのが、安全な態度だと思うのです。難易度をフラットな視点で見据えて、易しいなら易しいなりに、難しいなら難しいなりにこなせるならいいと思います。しかし、それは無理で、チャレンジングなことをやろうなどとすると、難しいことは余計に難しくなり、引っ張られて簡単なことも難しくなってしまうものです。

特に指導する側の人は、仕事を難しくしたがる病から脱しなければならないと思います。上の人が仕事は難しくなければならないと思っていたら、仕事を難しくしなければならないと勘違いしてしまうでしょう。そうしたら余計な重しに足を取られて、全員が不幸になると思うのです。

もし偉い人が呪縛から抜けられず自分だけ抜けたなら、簡単な仕事をあたかも難しいようにこなすことは処世術として有効でしょう。仕事自体の価値が評価できない人は、どれだけ大変そうに仕事をしたかでしか評価できないのですから、仕方ありません。

あるいは、みんなが難しいと思っていることが、自分には簡単そうに見えたらそれは是非ともやったらいいと思います。偉業を行った人はしばしば、それが難しいことだとは知らなかった、と言います。

難しいことなんて取り組んだところで疲弊するだけで、何もいいことはないから、そこから積極的に逃げるのが、プロフェッショナルとして正しい態度なように思います。